甘美な恋愛と性を手にするには大きな壁が存在します。
それはライバルの男性でもなければ世間的な批判でもありません。
それはあなた自身の心のなかにある躊躇いです。
恋はためらわないものが勝利し
ためらう者が敗北します。
|恋の達成のための大きな壁
女性を本気で好きになってしまい、
その女性へのいざアプローチ行動に移る時、
常に大きな障害になるのが恋の羞恥心です。
もしくは失恋への恐怖心といわれるものです。
こんな自分が彼女を好きだと言って笑われたらどうしようとか、
振られてしまったら恥ずかしい!!
などと頭の中は上手く受け入れれてもらった時の喜びへの想いよりは
失敗したときのみじめな自分の姿で一杯になってしまいます。
その結果、金縛り状態におちいてしまい、
過呼吸にすらなって心臓はドキドキして顔が上気してきます。
これは失恋への恐怖なのですが、
日本人の男性には特に恥を恐れる日本文化の影響もあり、
多くの男性は一歩を踏み出せないまま思いを告げれず沈黙してしまいます。
この恐怖心、羞恥心を乗り越えない限り
恋は成就することはなく
甘美な悦楽の性を手にすることは出来ません。
多分、幾つになっても日本男子の永遠の課題です。
この羞恥心・恐怖心から逃れるために恋愛そのものから逃げている人が殆どです。
|羞恥心に勝つには??
羞恥心・恐怖心に勝つには精神的な修行がかなり必要です。
座禅を組んでめい想に耽ってセロトニン体質にして
心の平静を獲得するしかありません。
その為には多くの努力と時間が必要となります。
しかし、99%の男性は羞恥心に打ち勝つためのこのような修行は出来ないでしょう。
打ち勝つと思うことは大変なことなのです。
しかし、発想を変えて勝つのではなく負けないようにすると
以外に簡単に出来るはずです。
いやむしろ負けても仕方ないとすることで恋の活路が広がります。
負けて当然と思うことで気持ちが楽になります。
|恋は恥そのものです
よくよく考えてみると実は恋愛は異常事態で普通ではありません。
恋すること自体普通ではなく実はまとも状態から見たら恥ずかしいことです。
愛を告白することは君とセックスしたいと言っていることです。
普通はとんでもないことです。
通りすがりの女性にセックスしたいなどといったら
ブっ飛ばされます。
だから神は男に羞恥心を与えたのかもしれません。
告白が成功してつき合うことが出来ると
今度はその女性をしっかり見つめて常に体を求めます。
そしてお互いが全てをさらけ出して愛撫し合います。
これも実に普通ではないし恥ずかしい行為になるでしょう。
結婚式は恥の最たるものです。
ピエロのような格好させられ大衆の面前で愛を誓わされるのです。
それまで感じたこともない感謝の言葉を親や友人に言わなくてはなりません。
もう二度と味わいたくない恥ずかしさです。
そして暫くして男は我に返ってしまい、女性には興味が薄れて
醒めた関係になっていきます。
実はこのように恋愛そのものは恥の連続そのものです。
それを喜びとしているのが実は人類です。
誰もが大恥をかいて平然としているのが実態です。
従って恋することはもうすでに恥に突入している状態であり、
その先に進んで大いに恥をかくことはどこにでも転がっている現象です。
あなただけではありません。
全て人が大恥かいて生きています。
|一歩を踏み出す
殆ど人たちは失恋して大恥をかいて子孫を残しています。
よくある幼馴染や同級生と結婚してしまっている人たちは
美しい物語のようですが、恥を回避しているだけです。
女性に相手にされない、振られてしまうことなどは食事やうんこと同じ現象です。
食べる姿や便器に座る姿は決して恰好はよくないのと一緒です。
恥をかきながら生きていくゆくことが大切なのです。
そのうち羞恥心にもいつか慣れます。
一歩を踏み出してそこで怖くなってしり込みしても
それは普通だと思うことです。
そのゲームは終わりにしてもまた次には一歩を踏み出すことです。
それが普通のことなんだと思えばいいだけです。
子供のころの注射する際に腕をまくって差し出す勇気、
サウナの後に冷水につかるときの思い切りくらいのレベルで充分です。
|女性が真に軽蔑する姿
女性は一歩を踏み出した男性を笑うことは決してありません。
何故なら自分を魅力ある女として認めてくれたからです。
断るのは生理的な本能が働いているからであなたのせいではないと考えましょう。
踏み出しても不器用な姿を見せても前を向いて女性を口説きましょう。
女性は何も口説かない、行動しない男性を一番敬遠します。
次の恋愛に生きる生かせる恥をかきましょう。
それを何度でも繰り返せばいいだけです。
そして人は他人のことなど余り気にかけていません。
あなたがどんなに緊張していて勇気を振り絞った行動でも
また非常に赤っ恥をかいた行動でも
気づくことが少ないはずです。
気にしているのは自分自身だけであり
人は貴方など見てはいないのです。