|今日の愛の概念
愛という観念は今日実に幅広い意味で解釈され使われています。
恋愛における男女間、親子間、隣人どうしや友情、人類愛でさえも
この愛という概念で捉えられ表現されています。
そもそも愛の観念は西洋のキリスト教の教えにそのもとを発しています。
極端に言うならば愛の概念はキリスト教布教のための一つの詭弁でした。
それは女たちの損得に非常に合致したものでもありました。
愛は女自身を守るための目に見えないバリヤーとなってくれるからです。
女達が教会でのウエイデングドレスに憧れるのもそこにあります。
実は日本においては明治以前には男女における愛という言葉、概念は存在せず、
LOVEという言葉を翻訳する際に愛という言葉を充てたのがその真実です。
西洋文明への強い憧憬とともに次第に知識人によって
性的な匂いを消したい浮かれた恋愛至上主義のこの愛の概念は
日本中に拡散していき、文明化の一つの象徴となっていきました。
それまで日本に存在した男女間における感情は性欲に基にした思慕や情愛の観念であり、
その中心にあったのは性愛そのもです。
愛というの観念はセックスへの直接的な要求を包みかくし、
神に寄り添うところの精神的な活動こそ価値あるものとする
キリスト教における娯楽としての性の否定思想を起点としています。
キリスト教は性の快楽を邪悪なるものとして規定し、
生殖を目的としたセックスのみを是としました。
快楽のためのセックスは否定されたのです。
この人間の本性から逸脱した愛の観念は
あらゆる商業主義と手を結び、今日の日本・世界に蔓延して
我々の男女間の関係を規定しています。
女は男に無私の愛を求め、
男においても愛こそ人生のすべての価値と錯覚して
女性に献身します。
この恋愛至上主義は大きな悲劇を数々生むことは周知の通りです。
|愛の奴隷の男たち
この現代の恋愛至上主義の愛の観念は
極めてこの生物学的な生殖の真理から逸脱しています。
男女間における愛は実に移ろう安く、気まぐれであることを忘れさり、
この真理を無視していると言わざるを得ません。
愛には永遠なる男女間の崇高な想いが存在するかごとき規定をし思い込みます。
しかし、男女間の愛における永遠は本質的には錯覚であり消滅が運命です。
いま男たちはこの愛という言葉に縛られて呪われています。
愛という美しい響きに陶酔して奴隷と化しています。
男たちは女たちに永遠の愛を要求され、
この愛なきものにはまるで存在人格さえ否定されます。
|恋愛感情は4年で消える
男女間の感情は性欲に基づく恋に始まります。
それはPEAという性ホルモンとドーパミンという快楽への誘導ホルモンが
関与していて、PEAはほぼ子育てが一段落する3~4年で消え去っていきます。
恋愛初期の男女間の愛情はこの法則に従い幻となっていくのが自然の定めたことです。
ごく少数のカップルは生涯この恋愛感情を維持して熱愛の関係で過ごしますが、
精々15%レベルが精一杯です。
このケースのカップルは生涯に渡って情熱的なセックスを行いますが、
大抵の場合は男女とも時間とともに燃えるような恋愛感情を失っていきます。
このような永続的な恋愛感情はたまたま偶然の組み合わせでしかないと思うほうが
正しいといえます。
(参照:恋愛の正体)
長期のつながりの男女に新たに生じてくるのは家族愛や慈しみの念です。
そこには当初あれほど心震わせた性のときめくような喜びは色あせてしまっています。
そもそも我々が恋愛の最中やウエデイングに求められる愛などというものは
永続しないことは理解しておくことが必要です。
男性の感情は生殖にもとずく恋愛感情から次第に
子孫保護のための家族愛に転じて行きます。
そこには男女間の情熱的な愛は存在しなくなります。
つまりその女性に対する性的な興味が消失していきます。
しかし、女性たちは男性には永遠の献身を求め続けます。
さらに35歳を過ぎたころ女たちはオーガズムに目覚めていきます。
女たちが性的な要求を強めていくとすでに萎えてしまった男たちの間の関係に
大きな肉体と精神的な亀裂を生じて行きます。
そして男と女の関係は単なる生活共同体となってゆき
性的に退屈で無感動な関係に行きつきます。