あなたは今そしてこれまで恋の地獄に苦しんでいませんでしたでしょうか?
どんなに熱烈な恋愛をしても生涯幸福を維持し続ける人はごく一部の人たちです。
多くの不幸な恋愛は西洋の単一な価値に裏付けられた恋愛観に振り回されているからです。
恋愛至上の価値観やひとりの女性しか愛せない人は
恋愛の現実を知った時や女性との関係が傷ついた時に
限りない心の闇に落ち込んでいきます。
40歳からの大人の恋愛は女性を絶対神的に崇める西洋的な恋愛観を捨てて
東洋的ないつくしみの恋愛観に移行しなくてはなりません。
|恋愛に酔いしれる現代
いつの日から日本は恋愛至上に転じました。
「愛」という言葉が氾濫して男も女もこの言葉のために
日々苦難を強いられているように思えてなりません。
テレビドラマも雑誌もレストランもソングも小説もファッションもありとあらゆるものが
この言葉を中心に回ってそこに大きなビジネスを作りだし、生きている人々が殆どです。
世界経済はこの恣意的に作られた「愛」のために回っているといっても
過言ではないでしょう。
我々、オスたちはこの愛のために生涯を粉骨して働き続け
そしてまた骨となって消えていくのです。
恋愛は大きな喜びの恍惚感を人にもたらしますが、
多くの悲劇も生み出しています。
西洋的な恋愛観にとりつかれた人達が
己を追い詰め、他者を傷つけ
本来の性の喜びとは程遠い苦しみの中に生き続けています。
|持ち込まれた愛という概念
この恋愛という概念は明治時代になって西洋的な文化、
特にキリスト教の普及に伴い、男女間の想いに「愛」という言葉が当てはめられ
その概念が行き渡りました。
西洋的な思想こそ絶対的な価値を有すると信じ込んだ日本の知識人たちは
この 「愛」という言葉に酔いしれて実践していきました。
江戸時代まで「愛している」という言葉はありませんでした。
男女間にあったのは性を中心とした情愛でした。
「惚れている」が精々の概念でしたでしょう。
恋愛至上主義は女達の正に望まんとしている観念そのものとして
受け入れられました。
強い遊びの性欲を否定し婦女子への奉仕精神こそ
人間的な精神そのもとするキリスト教の教義は
布教のための支配論理であるというその本当の姿は
その愛という甘美な響きの中で顧みられることはなく
特に都会の女たちを中心に広まっていったのです。
中世ヨーロッパにおける騎士道精神は女たちのあいだで絶賛され、
それを支持する馬鹿な知識人たちによって究極の純愛の姿として理想化されました。
それ以降我々日本の男子たちはこの純愛という亡霊に
悩まされることになったのです。
|中世の阿呆な恋愛観
中世の騎士道精神とは既婚の貴婦人に対する
絶対的な忠誠と奉仕を絶対愛として
そこに享楽としての性は否定されています。
つまり相手の肉体を求めることなく男性自身が自らは操を守り
その婦人に命を捧げるという実に阿呆のような思想です。
こんなものがそれまで性を天真爛漫にエンジョイしていた
日本国に浸透してきたのです。
日本だけではありません。
アジアや豪州、アメリカ大陸の非文明国の人たちは
性を様々な形でエンジョイして愛などいう訳の分からない無実態に
悩まされることはありませんでした。
そこにあったのは男女の深い性愛であり情愛でした。
|日本的な性愛
現代日本のあらゆる恋愛における苦悩はこの西洋的な恋愛観が元凶となっています。
確かに近松的な心中の苦悩は存在しましたが、
その要因は社会的な制度にありました。
そこにはあったのは恋愛の苦悩というよりは情愛と性愛の深い絆です。
源氏物語の世界も決して西洋的な恋愛観に則したものではありません。
むしろ忌まわしいものに違いありません。
そこに見て取れるのは一夫多妻であり乱婚であり、
男女間の性を中心にした情愛世界でした。
性愛の無常の中に「ものの憐れ」を我々の先祖は見出し楽しんでいたのです。
古には今我々を苦しめている西洋的なタブーは存在しませんでした。
光源氏は義理の母にまで手を出していたくらいです。
そしてその原作者は女性です。
|東洋の慈愛の精神
インドや中国の宗教や思想は性愛を決して否定することなく
むしろ数々の性典を残しています。
説くところは性愛の法であり、その法の追求による自らの精神の浄化です。
性愛の探求を深めることによって慈愛の精神に行きつくことを説いています。
慈愛とは「いつくしみ可愛がる深い愛情」です。
これこそ東洋にずっと根付いてきた根本精神です。
西洋人にはすぐには理解できない心情です。
一神教の絶対精神のみを崇めて多様な価値観を認めることのない人たちには
このあらゆるものを肯定し自然の中に多くの神を見出す東洋精神は
理解の範疇を超えているのです。
あらゆるものを慈愛の精神でいつくしむことは
これは男女間の感情でも同じです。
ただひとつのものを愛する精神は人間を苦しめます。
一人の女性に対する絶対的な愛は苦悩の元凶となります。
一価の思想は人間本来の精神ではないのです。
一神教の世界では争いが絶えません。
イスラム、キリスト教の争いのように
既にこの弊害は世界のあらゆるところで見ることができます。
同じように一人の女性を愛することにあなたのすべての苦悩があり
解放されない要因です。
(参照:悪魔の啓示)
多くのの女性を愛することであなたの魂の真の開放があります。
多くの女性を愛し、貴方の中に内存する慈愛を深めるのです。
|慈愛を深める法
慈愛を深めるためには多くの東洋の性典が説くように性愛の奥義を極めることです。
性愛の喜びを極めることで始めて行き着ける世界があります。
情愛とは単なる愛情ではありません。
深い心の奥底と本能から湧き上がってくる性の欲望を伴った愛情です。
性愛とは男女間の性的な愛情と言われ、性欲そのものの本質です。
性愛と情愛をこめた性交を重ねることによって女性に対する
いつくしみや思いやりというべき慈愛が生まれてきます。
慈愛は心の奥底に根付き、心の落ち着きと平和与えてくれます。
その心が生じた時にあなた自体が幸福感に包まれ
真の愛情を女性に注ぐことができます。
苦悩や争いのない幸福感に満ちた男と女の関係が継続できます。
女性は子宮の奥底から真の喜び生まれ、
女性としての生を味わい尽くすことができます。
その女性の姿にあなたは更にその女性への愛おしさを増していきます。
女性を愛おしみ、慈しむ慈愛の心は迷走神経の強化法が効果を発揮します。
迷走神経は副交感神経であり、副交感神経優位の状況下の精神は
女性への積極的で共鳴する心を増長してくれます。
女性と心も体も深い情愛で共鳴し合うことが可能になってきます。
迷走神経の強化は蓄積型の傾向があります。
即ち日々の努力が積み重なって太く強くなっていくのです。
迷走神経の強化は瞑想によってなされます。
ご参照していただければと存じます。
エロスと慈しみの愛のカクテルこそ大人の楽しむべきラブのスピリッツなのです。
*性の奥義は悪魔の性典 にあります。
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