女性の態度や反応に対して日々御立腹の御仁は多いのではないでしょうか?
しかし、女性に対して頭に来たり呆れたりすることは貴方のセックスライフに
実に大きな損失をもたらします。
女性に対して感情的になることは
その女性とセックスのチャンスを失うことを意味するのです。
女性にあなたが近づく目的は何かをしっかり考えることです。
そしてその目的を達成するためには何が必要かをしっかり認識することです。
|女に男の理屈は通用しない
まず前提とすべきは女性には道理や合理性や理屈はまるで通用しません。
それを求めることはネコにお座りやお手を求めることと一緒です。
なかにはお手を出来るネコはいますが、殆どの猫はまずは期待は出来ません。
男性同士の仁義や社会的な常識と思っていたことなどに女性は全く価値を見出しません。
女性の重要視するものは男性とはまるで違うことをまずは認識した上で
女性と接することが女性の心をつかみモテる為には大切です。
女性が非常識なのではなく男の価値観や問題意識を女性に求める男性が
間違いなのだと思うべきです。
人類という生物は確かに男性の知恵や知能、価値観で大いに発展してきましたが、
その一方で女性の考え方や思考法が表立ってはいないところでしっかり作用してきたのです。
男の価値観そのもので女性を判断することは
女性に受け入れてもらう確率は低くなります。
まずは男と女の価値観はまるで違うことを認め、
女性の考え方を理解してそれに則した対応を取ることが
恋愛セックスでのサクセスへの近道です。
|女は子宮で考える??
では女性の物事の考え方の原点はどこにあるのでしょうか?
よく言うところでは
「女は子宮で考える」
がありますが、多分正解です。
女性は子供を生み育てると言う生物的使命と仕組みを持っています。
その生態や生理は男性よりはかなり複雑で繊細な機能になっています。
その流れを司っているのがホルモンと言われる化学物質です。
特に性ホルモンは女性の生涯に渡って大きく変化してゆき大きな影響を与え続けます。
性行動や感情、習性などの女性のあらゆる生態に大きく影響を与え、
激しく変動してゆきます。
それは男子の性ホルモンがテストステロ主体のセクシュアリテイーに比べて
数種類のホルモンが複雑に絡んでゆきます。
その比率や分量は決して一定であることはなく、人種や個人、
個人でも日々や年齢によって大きく変化して女性の性衝動・恋愛・気分になどに
劇的に作用してきます。
我々男性はそのような性ホルモンの変動による影響はある意味では余り受けることはなく
ある一定の傾向で現れるだけです。
若い時は強烈な性欲に見舞われますが、
一般的には直ぐにある特定の傾向を示すようになります。
思考も脳のフルに活動させて論理的に物事を判断して行動します。
行動や会話も論理的になることが多いという特徴があります。
しかし、恋愛は理屈ではなく感情で動きます。
そして女性も感情と直観で動いています。
|女性は気持ちを大事にする
しかし、女性は時には性ホルモン達が大きく暴走して
自分でもほとんどはコントロール不能になります。
脳が主体に行動を合理的に決めるのではなく
生殖器官が性ホルモンの支配のもとに優先的に本能的に意志を決定してゆきます。
殆ど子孫と自らの生命を存続させるための直観的で感覚的な意思決定プロセスです。
このプロセスは一見合理的ではなく且つ複雑性を帯びているために
我々男たちは理解不能に陥るのです。
まるでランダムで予測不能に映ってしまい男たちは頭を抱えるか
堪忍袋の緒を切らせてしまいます。
それが男女が共同生活するライフスタイルを選んだ人類の悲劇の始まりです。
女性は常に性ホルモンの変動に精神は支配されています。
その激しい変動は安定的に時系列的に論理的に思考することを拒みます。
女性たちは物事の判断は経験的に直感的に本能的に行うことしか出来ません。
女性は性ホルモン支配による感情で動いています。
男性は論理・理性に基づく思考を行いますが、
女性の思考の中心にあるのは感情と本能・直感です。
女性に大切なことはそのとき時々の気持ちなのです。
反対に男性は物事の筋道を重要視します。
根本的な大きな違いがそこにあります。
|女は性ホルモンに支配されている
この事実をしっかり我々は頭に刷り込んこむ必要があります。
女性は性ホルモンの激変に日々悩まされていることを理解してあげるのです。
その性ホルモンの変動や性的本能の直観によって女は
行動し喋っていると理解することは恋愛における対応法を生みだしてくれます。
女性は男性のように戦略的に社会的には決して行動していません。
ほとんど直観と本能の命ずる行動です。
大きな計算のもとの言動ではないのです。
それは決して許せない性質のものではないのです。
理屈では確かには腹立たしい女性の言動も女たちは
自分で合理性と厳密な計算の上では行っていないのです。
自分でも説明のつかない寧ろ衝動的な言動と言っていいのです。