恋愛の本質を問う前に我々は
愛と恋とは全く別物であることを認識することから始めなくてはなりません。
この因数分解こそ男女間に湧き上がる誘惑とスリルに満ちた熱情を
理解することが出来るのです。
|恋愛は何故始まったのか?と言う疑問
セックスは生物にとって進化のプロセスにおいて
必然のものであったことは見てきました。
セックスの本質はお互いのDNAの交換融合です。
そこに起こる多様性に富む獲得形質こそ生存と繁栄への可能性そのものなのです。
それでは何故恋愛感情なるものが人類には生まれたのでしょうか?
自らの複製を作りDNAを未来永劫に継続させるために
セックスだけで充分ではなかったのでしょうか?
|快楽だけではいけないのか?
我々は人生を通じてこのどこからもなくわき出てくる恋愛なる感情に惹きづり回され、
煩わされて生きています。
それでは恋愛感情抜きでただ単に日常的にセックスを堪能し
快楽だけに浸ることではいけなかったのでしょうか?
食欲のように、
ただお腹が減った!
これが美味しい!
お腹が一杯だ!
大満足!!
もう眠たい!!
このようにシンプルに欲望を満たすことでは
自然は許してくれなかったのでしょうか?
生殖を行い子孫を残すためには恋の苦しみは一つの代償でしょうか?
そこにはやはり、卵子と精子の絶対数による生殖的価値が
左右しているからなのでしょうか?
その一つの答えはやはり進化の過程で見ることができます。
進化の系統樹で類人猿と離別して2足歩行を始めた時から
我々のこの性に複雑に纏わりつく恋愛感情の呪いは始まったと言えるのです。
|まずは恋と愛を分けよ!
我々は男と女の間の感情は恋愛感情とよび
まるで一つの精神活動のように扱います。
しかし、我々はこの恋愛の謎を解くために恋と愛の感情はまるで性質を
異にするもとして考えなくてはなりません。
二つを因数分解するのです。
何故なら、そのルーツも感情の質もまるで違うからです。
実は恋と愛はまるで本質が違うものなのです。
しっかり我々はこの仕訳を行うことこそ恋愛に振りまわされず、
愛情に溺れて破滅的な結果にならない為の賢い手段になるはずです。
恋愛と言うこの現代社会が仕掛けた魔物の餌食とならないこと
有意義でセクシュアルな人生を楽しむ精神原理となるはずです。
|西洋的恋愛至上主義に溺れてはならない
現代社会のこの恋愛至上主義の洪水状態です。
あらゆる商業活動はこの恋愛至上主義の上に
立脚した展開になっているように見えます。
CMのほとんどは男と女の性を意識したものでしかありません。
生命保険、スマホ、スイーツ、ブライダル、マンション、旅行・・・・・
その根本は男と女の恋愛であり結婚であり子育てであり娯楽です。
我々、男子はその中ですべてあくせくと働き悩み苦しみ人生を終えて行きます。
真の幸福は純粋なる恋愛の全うの中にしかないという洗脳・・
愛こそすべてだと叫ぶ陶酔感・・・
この壮大な大きな西洋文明の罠に早く気付かなくてはなりません。
そして自分のなかに潜む本来の自分に気づくのです。
西洋キリスト教社会の仕掛けたこの偽りの恋愛ドラマに終止符を打って
奔放で自由な己の性と本能を蘇らせるてください。
そこには本当のあなたの喜びがあるはずです。
その為には至上の幸福はそこにあると
語られている恋愛の本当の姿を暴かなくてはなりません。
我々、魔族は西洋キリスト教の教義の呪いを解くことから
真の恋愛を始めるのです。
恋愛の因数分解を始めてみましょう。
愛こそ恋愛のその根源などというのは
女と西洋文明が作り上げたそら言に惑わされてはいけません。
恋愛の根源はセックスにあります。
NEXT:恋とは何か?