邂逅(かいこう)とはめぐり逢い出会いを意味し、不縁(不縁)は縁が切れること、縁がないことを意味します。
男と女の関係性はこの邂逅と不縁の繰り返しです。
男女は出会いそしていつか別れていくそれは逃げることのできない宿命です。
その邂逅と不縁の繰り返しの中には人生の多くの喜びと悲しみが詰まっていきます。
人生の充実感や喜びはこの異性との出会いの別れのプロセスの姿そのもの中にあるのかも知れません。
男女の出会いと別れこそ人生そのものなのです。
出会いを単なる偶々としない
しかしこの人生の邂逅と不縁も多くの人たちは運命とか縁とかの人の力の及ばない超自然的な出来事で
一つの神秘現象のように捉えています。
つまりある女性との出会いは全くの偶然であり、奇跡であり、
意識的に起こせるものではないという認識です。
しかし、それが全てで真実でしょうか?
男と女の出会いは我々が関知できない100%異次元の法則で決められているのでしょうか?
人はよく
いい出会いがない!!
と口にして自分の今の状況を説明し言い訳します。
今の異性に縁のない状況は全ては自分ではどうしようもないことのように言い、
言い訳としています。
これは極めて自分のパートナー探しを他力本願的もしくは交通事故的に考えているにしか過ぎません。
確かに出会いはこれまで自分が関与できなかったこれまでの先祖や周辺の人達の行動や運命の結果生じるものですが
だからといって100%偶発的に考えていては恋とセックスに満たされた満足行く人生は送れません。
出会いは単なる偶然と捉えていては狩猟男子としてはNGなのです。
そして別れも単なる偶然ではない
また男女が離婚などで不縁になることも人はよく偶然的な出来事のように言い訳します。
つまり
性格の不一致だった!
と。
この姿勢も極めて無責任で量子的な確率論に聞こえます。
この言葉は
偶々性格が合わなかった。
偶々セックスが合わなかった。
偶々を前提として自分の力の及ぶところではなかった逃げています。
これでは実りある恋愛とセックス人生を送るにはあまりにも他人任せすぎます。
全ての自分の幸せを相手方の育ちや性格、周辺環境に委ねてしまう思考からくるもです。
大切なことは出会いも別れも単なる偶然にしてはなりません。
確かに自分ではどうしようもない前提条件はかなり伴います。
しかしながら100%めぐり逢いや運命などの言葉で片付けてはNGです。
その中でも自分の考え方一つで大いにコントロールできる部分は
かなりあることを認識しなくてはならないのです。
少なくても自らの積極的な行動と考え方を放棄することは人生の放棄そのものです。
出会いと別れの捉え方
ではどうあるべきか?
人生にとっては男女の出会いと別れの問題は常につきまとい、
正面切って立ち向かわなくてはならない重要課題です。
そしてよりよい結果に導き、充実したラブアンドセックスを人生を送ることを心がけなくてはなりません。
そのためには自分の中にしっかり出会いと別れに関して明確な方針と哲学を持って行かなくてはなりません。
言い換えるなら出会いも別れに対して自分自身に見合った考え方を確立して
それにしたがった戦略戦術を立てて恋愛の成就や破局に立ち向かうべきなのです。
最近の言葉で言えば
ボーとして恋愛しるんじゃない!!
なのです。
幾人かの男性たちは女性との出会いをかなり戦略的に捉えて、
戦術も細かく組み立てています。
いわゆる一般にナンパ師と言われる人たちですが、
この知恵と考え方に学ぶべきことは大いにあります。
彼らに学び自分なりにアレンジして女性ゲット戦略を組み立てることも
一策です。
全く女性獲得の方針や戦略を持たないことが最悪です。
それは他人任せ、女性任せの人生を意味するからです。
別離も一緒です。
女性と出会うことは必ず別れもいつかやってきます。
そのときに相手の感情や周囲の意見に押し切られてはこれこそ人生の放棄です。
女性を口説くには別れに関する方針なり考え方をしっかり確立しておかなくてはなりません。
女と別れること・離婚などはくっつく時の10倍のエネレギーとコストが掛かります。
ここを疎かにしておいては突然のように大きな負担が襲ってきます。
これから悪魔的に出会いと別れを記述していきます。
まとめ
女性との出会いも別れも全て偶然とすることは人生の放棄です。
女を口説くなら出会いと別れの哲学を自分なりにある程度は持つべきです。
自分の考えで女性との出会いも別れも支配できるように心がけることが大切です。